明治大学校友会富士地域支部総会へ
前回お話ししたように、昨日は、夜の営業をお休みさせて頂き、夕方から、大学の同窓会に出掛けました。出席するのは、実に7年振りのことです。向かった先は、
富士市内にある【ホテルグランド富士】で、入口には、
このように書かれ、東京六大学野球、ラグビーの早明戦、箱根駅伝など目にする幟も、
もありました。中に入り、
受付を済ませ、
会場に入ると、正面には、
日の丸と校章が、掲げられてありました。総会の後は、
待ちに待った懇親会です。
同窓会とは言っても、同級生やクラスメイトだけでなく、富士市、富士宮市の卒業生が集まり、上は、昭和一ケタ生まれの方もいらっしゃる同窓会では、自分なんぞ、ペーペーもペーペー、下っ端の下っ端なのでありますし、自分より下の卒業生は、2人しか出席していませんでした。
実は、それが良いところで、
7年振りとは言っても、何度か出席していることもあり、図々しさの塊にして、厚顔無恥が服を着ている自分ではありますが、大先輩から、妙に可愛がられており、久し振りの再会を祝し、
硬い握手も交わしました。
ところで、何故、酒が入ると、握手をしたくなるのでしょうか?20代の頃は、このようなことを、殆どしたことはなく、抵抗すらありましたが、今では、自然とそうなってしまうのは、歳を重ねた証拠かもしれません。
懇親会も終わりが近づくと、
三々五々集まり始め、
肩を組むと、校歌が流れ、皆で、唄い始めました。
在校時代の自分は、アルバイトに明け暮れ、授業も、単位を取るがために、出席していただけで、学校には、殆ど友達もおらず、六大学野球、ラグビーの応援などは、他所の大学の行事としか思っていませんでしたので、校歌を唄う機会は、全くありませんでした。
ちなみに、当時明け暮れていたアルバイトは、鮨屋での雑用で、今の自分の始まりでもありました。
当然、愛校心や母校愛などは、全く無く、自分にとっての大学は、身分証明書の発行機関でしかありませんでした。というのも、一浪して、明治に合格したにもかかわらず、敢えて入学せず、二浪した結果、再び合格し、恋焦がれていた志望校には、現役、一浪、二浪と、三度も振られ、明治に、しぶしぶ進学したからでした。
かつては、そんな自分でしたが、今では、校歌の一番だけでしたら、大体唄えるようにもなり、さらに、日本三大校歌とも呼ばれていることもあり、ミーハーな自分は、そんなことも、嬉しくて堪りません。そんな明治大学の校歌は、ご存じの方も多いかもしれませんが、このようなものです。
さて、校歌を唄い終えると、
今度は、
応援団に扮した先輩の掛け声と共に、
万歳三唱をして、
懇親会は、お開きとなりました。
このような集まりに、何度か出席しているうちに、母校愛が目覚め、諸先輩方に、可愛がられていることもあり、いつしか、明治大学を誇りに思うようになり、自分が、まだまだ未熟で、努力すれば、報われるかもしれないこと、一生懸命生き、後輩にその道を示さなければならないことを、感じるようにもなりました。
入学当初は、何度やめようと思い、多くの人に諭され、どうにかこうにか卒業したことが、今では、自分の大きな財産の一つとなり、大学時代の4年間があったからこそ、料理人としてのスタートきれたわけで、人生というのは、何が功を奏すのか、全く分かりません。
人間万事塞翁が馬とは、よく言ったもので、ベストというより、マッチベターなことの方が、意外と、雁字搦めになることなく、進めるのが、人生で、それを教えてくれたのも、あの4年間だったのかもしれません。
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