巨星、墜つ
今更ですが、自分は志村です。
昨日、

同姓のお笑い芸人の志村けんさんが亡くなり、多くの方がショックを受け、自分もその一人でした。
ちなみに、系図を辿れば、もしやもしやですが、知る限り、血縁ではありません。
子供の頃から好きだったのですが、中学に入学する時に、地元を離れ、寮生活をすると、同姓ゆえ、からかわれたことは枚挙にいとま無く、多感な紅顔の美少年(!?)にとっては、複雑な存在でした。
複雑とは言え、好きなのは変わらず、テレビを見ては、大いに笑わせてもらい、同姓であるだけで、親近感が増し、どこかで、遠縁であればと思ったこともあります。
亡くなったことが報じられると、ネットでは、様々な投稿があり、色々と目にしました。
そんな中、

Facebookで、志村さんのこんな言葉が投稿されていました。
いろいんな人たちを見てきた。思うのは、人生は不公平だってこと。
若いときからずっと恵まれている人もいる。急上昇して急降下する人もいる。人生の後半にピークを迎える人もいる。ずっと恵まれない人もいる。
人生というゲームの勝ち負けに一定の法則がないことは、これを見てもあきらかだろろう。
ただし、ひとつ言えることがある。ずっと恵まれてみえる人は、みな必ず努力していることだ。例外なくね。
マンネリで大いに結構、ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか。定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない。やってる方の気持ちが新しければ、笑いに、古いも新しいもない。
ドリフも僕のバカ殿も変なおじさんも、必死でネタ作って、とことん何年もやり続けてきたわけだから、みんなマンネリの域まで達してみろって。
ただただ深い言葉で、自らの道に、とことんのめり込むんだ故の言葉でしかなく、自分は、料理の道に対して、そうだったのか、そうなのか、そうであろうかと、過去、現在、未来について、自問せずにはいられず、その答えは、愚直でしかなく、これまで同様、歩くのみです。
そして、志村さんのご冥福はもちろんのこと、この忌々しい疫病の猛威を、人類の英知と精神で克服し、一刻も早く、平穏な日常が戻ることを願ってやみません。
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