天然のとらふぐの白子と養殖のとらふぐの白子の違い
今朝は、定休日でしたが、仕込みの都合もあり、
沼津の魚市場に行って来ました。市場に着くのは、
5時前後で、着いてから、最初に向かうのが、
活魚の生簀で、セリの始まる1時間ぐらい前なので、殆ど人もいません。また、一番最初に向かうのは、この時季なら天然のとらふぐ、夏なら鱧の入荷が、気になるからです。生簀ですので、中に入っているのは、文字通り活きた魚で、
今朝は、鯛や、
平目に始まり、
ナヌカサメなる変り種も、入荷していましたし、この他には、ひら鱸、高足蟹などもありましたが、残念なことに、自称“富士市でふぐ料理が一番好きな料理人”である自分のお目当ての天然のとらふぐはありませんでした。活魚の生簀とは言っても、
生簀の前には、発泡スチロールに入った魚介類が並べられており、
鮟肝や、箱に入って、卸した状態になっている“身欠き(みがき)ふぐ”と呼ばれる養殖のとらふぐも並んでいる時もあります。別の日に並んでいたものは、
こんな箱に入っており、
愛媛県産のもので、別の売り場にも、
幾つか“身欠きふぐ”が並んでいました。何故このようなふぐが入荷しているのかというと、他の魚に比べて、ふぐは仕込みに、非常に手間がかかるからです。ふぐを卸すのが、いかに手間がかかるのかは、こちらをご覧下さい。
売り物ですので、中を開けることは出来ないのですが、内臓を取ってあり、
このような状態になっているものを想像して下さい。この写真は、先日自分が卸した三重県産の天然のとらふぐです。
ところで、一年のうちに、活きた養殖のとらふぐを勧められることもあり、勿論断るのですが、担当者に、「ここ何年かで、養殖のとらふぐも、かなり質が良くなってきたので、試しに1本だけでもいいから。」という理由で、去年の暮れに、養殖のとらふぐを仕入れてみました。
確かに、以前に比べ、質は良くなっていたのは、卸していても感じられたのものの、刺身だけでなく、ふぐちりにして、試食してみたのですが、比べる余地というより、天然のとらふぐと同じ土俵で、勝負するのは、天然ものに失礼にあたるとしか言えませんでした。
また、その時の養殖ものは、オスだったので、白子も入っていました。ということで、前置きがかなり長くなりましたが、ここからが本題です。これが、養殖のとらふぐの白子を焼いたもので、
こちらが、
天然のそれです。どちらも、焼く前に、
霜降り(熱湯で湯がいて)から、塩をして焼いたものです。見た目は、殆ど違いが無いようですが、指で触ると、
養殖の方は、指でつまむと。弾力がなく、一方の天然は、
弾力があるのです。力のかけ方は、自分の感覚なので、数値化したものではありませんが、明らかに違いを感じることが出来ました。
また、完全に冷めたものを見ると、
右側の天然の白子と左側の養殖のそれとは、張りの違いがお分かり頂けると思います。これだけ違うのですから、食べれば、その違いは一目ならぬ一口瞭然です。
天然の白子は、濃厚でありながらも繊細にして、クリーミーな味わいで、“白いダイヤ”の称号そのもので、その値段は、ありとあらゆる海産物の中でも、群を抜き、生の天然の本鮪の大トロが取れる腹上(はらかみ)と呼ばれる部位よりも、高いのですが、暮れや年明けのような通常ではない相場の条件は除きます。
さてさて、最初にお話ししたように、今朝の沼津の魚市場には、天然のとらふぐの入荷はありませんでしたが、市場の帰りに、
宅配便の営業所に立ち寄り、
三重県から届いた天然のとらふぐを、引き取って来ました。【佳肴 季凛】に戻り、
中を開ける瞬間が、いつも緊張します。発送時には、
活きていても、道中どうなるか分からないからです。どちらの箱も、お腹に入っていた餌を吐き出したりして、
海水が、多少汚れてはいるものの、4本全てスイスイと泳いでおり、
そのまま締めてから、卸しました。このうちの2本がオスで、
見事な白子が入っていました。卸している時から、美食のオーラは、手のひらを通じて、 既に感じずにはいられませんでした。何度見ても、この眺めだけは、惚れ惚れしてしまいます。卸している時ですら、こんな気分ですので、試食という言い訳を口にしたくなるのですが、そんな言い訳が通じるのは、一年のうちに、片手で数えられる程度です。
ただ言えるのは、ひとたびこれを食せば、恍惚の域に達するということだけです。
追伸 これまで、900以上の記事を書きましたが、写真が一番多いものであるでなく、単発ものでは、一番長いもののはずです。やはり、ふぐについては、書かずにはいられません。
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