38年振り、6度目の優勝の明治大学
先日、【第68回全日本大学野球選手権】で、自分の母校である明治大学(東京六大学野球連盟)が、ベスト4入りをしたことをお話ししましたが、

準決勝を経て、昨日の決勝戦で、

佛教大学(京滋大学野球連盟)を6-1で下し、38年振り6度目の優勝を果たし、OBとしては嬉しい限りでなりません。
春のリーグ戦のシーズン中から、【明治大学紫紺NET交流会】なるFacebookページで、OBの方々が数多く投稿し、時が経つにつれ、ますます盛り上がり、昨日と今日は、かなり盛上がっていました。
そんなこともあり、普段ですと、購読紙のスポーツ面を読むのは一番最後なのですが、

今朝は、

いの一番に開き、その余韻に浸りながら、紙面を読みつつも、傍らでFacebookを見ていると、先程のページに OBの方々の投稿があり、それに触発され、

新聞販売店に出向き、一面が明治大学関連の2紙を購入してしまいました。
正月でないのにもかかわらず、大学スポーツが一面を飾るのは珍しいことで、一面に掲載されたのは、昨日の決勝戦が月曜日で、プロ野球が行われなかったことらしく、言われてみれば、もっともなことです。
さらに、【日刊スポーツ】の記者の多くは、明治大学のOBが多いとのことも、一面での掲載になったらしく、その情報源は、 例のFacebookページに書かれていました。
また、偶然にも、【日刊スポーツ】の別紙面には、

作家の阿木要燿子女史が載っており、自分は知っていましたが、奇しくも、女史は、

明治卒のOGなのです。
【日刊スポーツ】同様、優勝の記事関連を一面に掲載していたのが、

【サンケイスポーツ】で、昨日の結果よりも、主将にしてエースの森下選手のドラフト関連の記事で、隣に載っているのは、岩手県大船渡高校のピッチャーで、両者の比較記事でした。
紙面には、

過去の大学選手権での各大学の優勝回数や、

先程の森下選手が、MVP(最高殊勲選手)と最優秀投手の2冠に輝いたことが書かれていました。
ついつい、色んな豆知識を知りたい自分は、前回の優勝時のメンバーが載っていたことから、

色々とググったところ、その頃は、明治大学野球部の黄金期にふさわしく、前回の優勝(1978年)を含めた4年の間に、3度の優勝を果たしており、当時のメンバーには、巨人や西武で活躍した名ストッパーの鹿取投手もいたりと、母校の偉大なる歴史を垣間見ることが出来た次第で、参考にした歴代の優勝校については、こちらを御覧下さい。
これまで、今回のお話しのように、自分の出身大学や出身高校のことを何度かお話ししたことがありますが、その度に思うのは、縁あって通い、その卒業生として、今があるのは、先輩達がいてのことで、自分も何らかの形での役に立ちたいということです。
そして、出身校の名を誇ると言うよりも、汚すことなく、精進と努力を怠ることのないよう、自分の道を進まなくてはならないと思わせてくれる母校に感謝の念は尽きません。
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全国大学野球選手権で4強入り
先日、自分の母校である明治大学が東京六大学野球の春季リーグ戦で、優勝に王手をかけたことをお話ししましたが、

その翌週の月曜日(27日)、

宿敵の法政大学に、第三戦までもつれた末、勝利し、5季ぶりの優勝をしました。
宿敵とお話ししたのは、“血の明法(法明)戦”とも呼ばれており、明治と法政のライバル意識を表すのに、ぴったりの表現で、両校はその創立の経緯からして、非常に近い関係にありました。
法政は、明治13年(1880年)に、「東京法学社」として、明治は、明治14年(1881年)に、「明治法律学校」として、 同時期に創立され、フランス法を扱う法律学校だったため、創立当初から、友好関係にあったのです。
しかも、法政の発祥の地は、現在の御茶ノ水の明治のリバティータワーの、すぐ近くで、そんな関係にあったこともあり、大正6年(1917年)、早稲田、慶応、明治の「三大学リーグ」に法政がすんなりと加入し、「三大学リーグ」は「四大学リーグ」となり、“華の早慶戦”に対し、名勝負の一つとなり、現在に到っています。
そんな“血の明法戦”を制しての優勝ですので、喜びもひとしおだったのですが、春季リーグ戦の覇者は、全国大学野球選手権に出場することが出来、

順当に勝ち進み、

準々決勝で、東都リーグ代表の東洋大学を、3-0で下し、ベスト4入りとなりました。
そして、明日行われる準決勝で、

北海道代表の東農大オホーツクと対戦するのですが、

大会史上、東京六大学と東都大学の代表対決が過去27回あり、そのうちの26回は、その勝者が選手権の王者となるというデータが書かれていました。
27分の26、つまり96,2%の高確率!しかも、今回を含め、68回の大会を考えると、かなり期待が持てそうです。
準決勝は明日の予定ですが、天気予報の様子ですと、順延が予想されますが、選手達にとって、恵の雨となり、王者を目指して欲しい限りでなりません。
☆★☆ ラジオエフ 『うまいラジオ』に出演中 ★☆★
毎月第一木曜日 昼2時頃から、ローカルFM局ラジオエフの番組『うまいラジオ』で、旬の魚について、店主兼“熱血料理人”の自分が、熱く語ります。
次回は、7月4日(木)の予定です。


放送エリアは限られますが、お時間のある方は、是非、お聴き下さい。
明治大学日和
毎週日曜日、夜8時からNHKで放映されている大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』を観ている方も多いかもしれませんが、

自分もその一人です。
そんな昨日の放送で、正月の風物詩ともなっている箱根駅伝の第1回大会の様子があり、

自分の母校である明治大学も参加しており、

残念なことに、ゴール目前で、

トップを走っていた最終ランナーが転んでしまい、2位になってしまうシーンがありました。
もし、転倒せずにゴールしていたら、箱根駅伝の初代王者になれたわけで、残念でなりませんが、このようなことがあったとは、つゆ知らず。
ちなみに、第1回大会の出場校は、東京高等師範(現在の筑波大学)、明治、早稲田、慶應の4校だけで、この順番が、第1回大会の順位でもありました。
ところで、明治大学の体育会で有名なのが、野球部とラグビー部であることは、広く知られていますが、昨日は、

東京六大学野球の春のリーグ戦で、

慶應を破り、来週の法政戦で勝ち点をあげなくても、1勝すれば、5シーズン振り40度目の優勝が決まるとのことで、所謂マジック1となり、

【明大スポーツ新聞部】の速報で、デカデカと記事が・・・。
先程の記事は紙面ではないものの、5月15日発行の最新版では、

準硬式野球部が24年振りに優勝したことが、一面に掲載されており、準硬式野球とは、聞き慣れないかといらっしゃるかもしれませんが、簡単に言えば、硬式と軟式の中間のようなもので、なんちゃんってとは言っても、準硬式から、プロ入りした選手もいるのです。
野球同様、明治と言えば、ラグビーで、

長きに渡る低迷ののち、

年明けの全日本選手権で、22シーズン振り13度目の優勝を達成し、この時のことを書かずにはいられませんでした。
また、昨日は、ラグビー部が静岡の草薙球技場で行われた県ラグビーフェスティバルで、

東海大学と対戦し、

大学王者として、

貫禄勝ちをしてくれ、大河ドラマ、野球、ラグビーと、それこそ明治大学日和の一日となったのです。
これまでにもお話ししたことがありますが、1浪して合格したにもかかわらず、恋い焦がれていた第一志望の大学に行きたいがため、あえて2浪し、結果として、大本命、本命、対抗全てに振られ、明治に入学した自分にとっての大学は身分証明証発行機関に過ぎず、在校時代は、鮨屋でのアルバイトに明け暮れていました。
それでも、卒業したとは言え、長い間、母校のことを誇りと思うことはなかったのですが、校友会と呼ばれる集まりに、何度か出席していると、顔見知りの大先輩達に可愛がられるにつれ、母校愛が目覚めるようになり、今では、校歌も唄えるようになったのです。
校友会に出席すると、「板前をやっているけど、学部は何だったの?」と訊かれることも多く、冗談交じりで、「家政学部日本料理学科でした。」と答えると、「そんなものあるわけないだろう!全く・・・。(笑)」と言われる始末。
ちなみに、政治経済学部政治学科卒で、当時は“パラダイス政経”と呼ばれ、それこそ、出席さえしていれば、ゼミにも入る必要もなく、卒業論文も書かずして、卒業出来たくらいで、結果として、鮨屋のアルバイトを邪魔されることもなく、料理のイロハを覚えることが出来たとすると、そういう意味では、良かったのかもしれません。
仕事柄、毎年行われる校友会に出席する機会は少なく、4年前に出席したのが最後で、その時の様子については、こちらをお読みください。
いずれにせよ、母校の名を汚(けが)すことなく、自ら選んだ道を歩み、これからも誇りをもって、努力と精進を重ね、一生懸命生きることで、後輩の手本となれるよう、日々の仕事に打ち込み続けます。
★☆★ 日本料理の匠 ★☆★

このように紹介されております。ご興味、ご関心のある方は、上の写真をクリックして、ご覧下さい。
22季振り、13度目の選手権優勝の明治大学ラグビー部
昨日のラグビーの全国大学選手権大会で、
母校である明治大学が、
22季振り、13度目の優勝をしました。
そんなこともあり、自分も参加しているFacebookページ『明治大学紫紺NET交流会』では、数えきらないくらいに、優勝に関する投稿が見られ、“超いいね!”をクリックしてしまいました。
自分以外にも、多くOBやOGの方々が待ちわびていた優勝で、中には、スポーツ紙を全紙購入した方もいて、その様子を投稿しており、皆が皆、同じ思いだったようです。
ここ数年というより、長い間低迷していましたが、昨年久々に準優勝し、
紙面にも、名門復活の見出しがありました。
昨年は、絶対王者とも言うべき帝京大学に、決勝戦で1点差で破れ、9連覇を許し、今年こそはの思いというか願いがあり、対抗戦の様子も気にしており、結果的には、4位で終わってしまい、復活はならないかもしれないと危惧していました。
今後、どうなるかは分かりませんが、
新時代の幕開けとなり、
近い将来ライバルの早稲田大学の優勝回数を越え、名門同士、大学ラグビー界を牽引して欲しい限りでなりません。
学生時代、鮨屋でのアルバイトに明け暮れ、大学には、友達も殆どおらず、学生証というか身分証明証発行機関にしか思っていなかった自分ですが、今となっては、誇れる母校です。
昨年の準優勝の時は、大先輩である星野仙一氏の死去もあり、複雑な思いを感じたのですが、縁あって通った明治大学の母校の名を汚すことなく、自ら選んだ道を歩み続け、日々の仕事に努めたい限りでなりません。
偉大なる先輩、奮闘する後輩
先日、自分の母校である明治大学ラグビー部が、
大学選手権で、19年振りの決勝進出を果たしたことをお話ししましたが、昨日がその決勝戦でした。
ランチの営業が終わり、休憩を取り、テレビを観ると、ちょうど前半が終わったところで、
17-7とリードしていたこともあり、21年振りの優勝を期待していたものの、逆転され、
惜しくも1点差で敗れてしまい、優勝した帝京大学は9連覇という偉業を、打ち立てました。
来年以降の古豪というか、名門の復活を期待するばかりですが、その嬉しい話題とは反対に、明治大学のOBの一人でもある元プロ野球監督の星野仙一氏が、
急逝され、昨日も今日も、数多く報道されており、氏のご冥福を祈るばかりですが、氏の神通力で、昨日の決勝戦での再逆転を期待していたのは、自分だけではなかったかもしれません。
ところで、紅顔の美少年だった頃の自分は、熱烈な巨人ファンで、現役時代だけでなく監督時代も、必要以上に闘志をむき出しにして、巨人戦に臨む氏の姿は、疎ましい限りでした。
時が過ぎ、プロ野球への興味も薄れ、料理の道に転がり、その道を具現化すべき『佳肴 季凛』を開店し、所謂オーナーシェフとして、広い視野を求めるようになると、氏の言動や姿勢に、共感すら感じ、後輩であることを嬉しく思うようにもなりました。
さて、紙面を開くと、
多くの記事が書かれ、その中に、
氏の語録があり、その最後に、昨年11月の野球殿堂入りのパーティーで、
「ずっと野球と恋愛してきてよかった。もっともっと、野球に恋をしたい。」とあり、この言葉を話している映像も、様々な番組で目にしましたが、純粋以外の何ものでないとしか、思えませんでした。
そして、奇しくも二日連続で、偉大なる先輩と奮闘する後輩達の姿を感じることが出来たのも、同じ学び舎に通ったという接点しかありませんが、伝統ある母校の名を汚さぬよう、氏の言うが如く、料理に恋い焦がれて、今に至り、これからも料理を愛し続けられるよう、日々努めたいものです。
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毎月第一木曜日 昼2時頃から、ローカルFM局ラジオエフの番組『うまいラジオ』で、旬の魚について、店主兼“熱血料理人”の自分が、熱く語ります。
2月は、2月1日(木)の予定です。
放送エリアは限られますが、お時間のある方は、是非、お聴き下さい。
明治大学ラグビー部、19年の振りの決勝進出
今朝のスポーツ新聞各紙です。
1月3日付ですので、『スポニチ』、『サンスポ』、『スポーツ報知』、『日刊スポーツ』の1面は、
昨日の箱根駅伝での東洋大学の往路優勝の記事でしたが、案の定というか、
『デイリー』は、阪神タイガースの記事でした。
ところで、何故に、スポーツ新聞各紙が手元にあるのかというと、長女が、学生駅伝にはまっており、その情報源として、購入したからです。
その中でも、
『サンスポ』と、
『スポニチ』の最終面は、我が母校の明治大学のラグビー部の記事でした。
ご存じのように、明治大学のラグビー部は名門で、かつては、準決勝は通過点くらいの認識しかありませんでしたが、長い間、低迷が続き、今大会での決勝進出がなんと19年振りというのは、非常に感慨深いものがあります。
今でこそ、母校愛を感じ、このように思っていますが、学生時代は、愛校心の微塵もなく、大学を身分証明書発行機関ぐらいしか思っていませんでしたし、以前そのようなことを、書いたことがあるので、詳細については、こちらをお読み下さい。
決勝戦の相手は、8連覇中の帝京大学で、対抗戦では、敗れていることもあり、手強いのは否定出来ませんが、久々の決勝進出により、今後の復活に期待したいものです。
そして、後輩の活躍に刺激を受け、OBとして、母校の名を汚すことなく、自分の道を、一生懸命に歩くことを、改めて感じたのでした。
☆★☆ ラジオエフ 『うまいラジオ』に出演中 ★☆★
毎月第一木曜日 昼2時頃から、ローカルFM局ラジオエフの番組『うまいラジオ』で、旬の魚について、店主兼“熱血料理人”の自分が、熱く語ります。
新年は、1月4日(木)の予定です。
放送エリアは限られますが、お時間のある方は、是非、お聴き下さい。
母校愛に支えられ、ふぐ愛
今日は、定休日でしたが、三重県から、
この3本の天然のとらふぐが届くことになっていたので、
沼津の魚市場に、仕入れに行って来ました。
この売場に行くと、
自分の買い番と宛て名が書かれていた発泡スチロールが置いてあり、中を開けると、
3本全て、スイスイしており、ひと安心するとともに、萌え燃え・・・
その後、ひととおりの仕入れを終えたので、『佳肴 季凛』に戻り、仕込みをすることにしましたが、
今日の仕込みは、先付の南京豆腐だけでした。
その後、ふぐを卸すことにしたのですが、カウンター周りを養生した新聞を見ると、
偶然にも、我が母校である明治大学の広告がありました。
これからの時季、大学スポーツと入学試験のシーズンということもあり、母校の名前を目にする機会が増えるので、否が応でも、気にならないわけにはいきません。そんな母校ついての自分の想いは、こちらをお読みください。
そんなことはさておき、
まな板に、ふぐを置き、卸すことにしたのですが、
3本全てに、十分に成長した白子が入っており、3打数3安打の結果となりました。久々というより、今季初の10割です。
卸し終えたら、富士市内の魚屋さんに、
吉田や用宗(もちむね)など、静岡県産の天然のとらふぐを取りに行って来ました。
『佳肴 季凛』に戻り、
中を開けると、
締めたとらふぐを包んでいた新聞紙も、偶然にも、先ほどと同じく、明治大学の広告でした。
まさに、母校愛に支えられたふぐ愛としか、言い様がなく、
萌え燃え・・・
静岡産のものは、全部で5本あり、卸し終えたら、
女将兼愛妻(!?)の真由美さんが、水洗いをしてくれ、自分が手直しをしました。
水洗いを終えた3本の三重産が、
こちらで、
静岡産の5本が、こちらでした。
その後、
自分が拭き上げ、一方の真由美さんは、まな板周りを掃除してくれました。
そして、このように、
拭き上げたのですが、
静岡産の5本のうち、3本に、白子が入っており、
三重産の3本のものと合計すると、8打数6安打の猛打賞となり、心の中では、明治大学の校歌のサビである「おぉ 明治その名ぞ 吾等が母校~♫」と、独り唄っていました。ちなみに、明治大学の校歌は、このようなものです。
明日は、三重からの入荷はありませんが、静岡は、どうなることでしょう?
★☆★ 日本料理の匠 ★☆★
【佳肴 季凛】店主兼熱血料理人の自分が、
このように紹介されております。ご興味、ご関心のある方は、上の写真をクリックして、ご覧下さい。
明治大学校友会富士地域支部総会へ
前回お話ししたように、昨日は、夜の営業をお休みさせて頂き、夕方から、大学の同窓会に出掛けました。出席するのは、実に7年振りのことです。向かった先は、
富士市内にある【ホテルグランド富士】で、入口には、
このように書かれ、東京六大学野球、ラグビーの早明戦、箱根駅伝など目にする幟も、
もありました。中に入り、
受付を済ませ、
会場に入ると、正面には、
日の丸と校章が、掲げられてありました。総会の後は、
待ちに待った懇親会です。
同窓会とは言っても、同級生やクラスメイトだけでなく、富士市、富士宮市の卒業生が集まり、上は、昭和一ケタ生まれの方もいらっしゃる同窓会では、自分なんぞ、ペーペーもペーペー、下っ端の下っ端なのでありますし、自分より下の卒業生は、2人しか出席していませんでした。
実は、それが良いところで、
7年振りとは言っても、何度か出席していることもあり、図々しさの塊にして、厚顔無恥が服を着ている自分ではありますが、大先輩から、妙に可愛がられており、久し振りの再会を祝し、
硬い握手も交わしました。
ところで、何故、酒が入ると、握手をしたくなるのでしょうか?20代の頃は、このようなことを、殆どしたことはなく、抵抗すらありましたが、今では、自然とそうなってしまうのは、歳を重ねた証拠かもしれません。
懇親会も終わりが近づくと、
三々五々集まり始め、
肩を組むと、校歌が流れ、皆で、唄い始めました。
在校時代の自分は、アルバイトに明け暮れ、授業も、単位を取るがために、出席していただけで、学校には、殆ど友達もおらず、六大学野球、ラグビーの応援などは、他所の大学の行事としか思っていませんでしたので、校歌を唄う機会は、全くありませんでした。
ちなみに、当時明け暮れていたアルバイトは、鮨屋での雑用で、今の自分の始まりでもありました。
当然、愛校心や母校愛などは、全く無く、自分にとっての大学は、身分証明書の発行機関でしかありませんでした。というのも、一浪して、明治に合格したにもかかわらず、敢えて入学せず、二浪した結果、再び合格し、恋焦がれていた志望校には、現役、一浪、二浪と、三度も振られ、明治に、しぶしぶ進学したからでした。
かつては、そんな自分でしたが、今では、校歌の一番だけでしたら、大体唄えるようにもなり、さらに、日本三大校歌とも呼ばれていることもあり、ミーハーな自分は、そんなことも、嬉しくて堪りません。そんな明治大学の校歌は、ご存じの方も多いかもしれませんが、このようなものです。
さて、校歌を唄い終えると、
今度は、
応援団に扮した先輩の掛け声と共に、
万歳三唱をして、
懇親会は、お開きとなりました。
このような集まりに、何度か出席しているうちに、母校愛が目覚め、諸先輩方に、可愛がられていることもあり、いつしか、明治大学を誇りに思うようになり、自分が、まだまだ未熟で、努力すれば、報われるかもしれないこと、一生懸命生き、後輩にその道を示さなければならないことを、感じるようにもなりました。
入学当初は、何度やめようと思い、多くの人に諭され、どうにかこうにか卒業したことが、今では、自分の大きな財産の一つとなり、大学時代の4年間があったからこそ、料理人としてのスタートきれたわけで、人生というのは、何が功を奏すのか、全く分かりません。
人間万事塞翁が馬とは、よく言ったもので、ベストというより、マッチベターなことの方が、意外と、雁字搦めになることなく、進めるのが、人生で、それを教えてくれたのも、あの4年間だったのかもしれません。